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◆概観◆
第55回ベルリン映画祭は、今回も厳寒のベルリン下で盛会のうちに幕を閉じた。メインとなるコンペ部門の今年の特徴は、社会派といわれる作品が多くを占めていたことだろう。反ナチス主義を貫いたがために処刑されるに至った女学生の悲劇「SOPHIE SCHOLL」は、金熊賞の呼び声が最も高かった。非情なルワンダ虐殺を綴った「SOMETIME IN APRIL」、パレスチナ問題を自爆テロに志願した青年2人の葛藤という見地からみた「PARADISE
NOW」、そしてロシアのソクーロフ監督の「THE SUN」は昭和天皇がいわゆる人間宣言を行う一日の物語・・・。硬派なテーマな作品が並び、いわゆるハリウッド映画の影がどんどん薄まってもいた分、華やかさにはやや乏しく、盛り上がりに欠けるとの声が会期中囁かれていた。強烈なインパクトを持つ作品がないとの指摘もあった。が、振り返ってみると実はなかなかに見応えの多い佳作が揃っていたといえる。その中で最高賞である金熊賞に輝いたのは「U-CARMEN e KHAYELITSHA」。舞台を現代の南アフリカに移し、劇中歌はすべて現地のコサ語で力強く歌われる異色の「カルメン」。肉感的なアフリカのカルメンの姿は圧巻、出色の出来栄え。舞台出身のイギリス人監督の映画デビュー作での快挙であった。パノラマ部門は今回20周年を迎え、記念イヴェントも繰り広げられた。一定のポリシーを感じさせ、バランス感覚に優れたセクションからは幾多の才能溢れる監督が見出され、特に配給に携わる人々は常に注視している部門である。
(写真右:ベルリンの街中に飾られている映画祭ポスター)
ベルリンのヨーロピアン・フィルム・マーケット(EFM)はアメリカン・フィルム・マーケットが11月開催に転じたことにより、年頭のマーケットの重要性がより高まっている。映画祭メイン会場ベルリナーレ・パラストに隣接する従来の場所(明らかに手狭)での開催は今回が最後、次回2006年よりポツダム広場からほど近いMartin
Gropius Bauに場所を移転、拡大する方向で広報活動に余念がない。(現在はそのMartin Gropius Bauは美術館として使われており、大々的なスタンリー・キューブリック展が開催中で、映画祭参加者の間でも評判になっていた。)次回に向けての興味も手伝ってか、日本からも多くの業者が参加した。日本の複数の製作会社・セールスエージェントが一堂に会したユニジャパンのブースには日本映画情報を求めて足を運ぶ関係者が後を絶たなかった。
ベルリンはこれだけの規模の映画祭であるにも関わらず、映画祭パスやチケットの発行、ほとんど遅れのない上映開始時間・・・オーガニゼーション面も相変わらずトラブルの少ない、ゆえにストレスの少ない映画祭だとの感を今回も強くした。
(写真左:フォーラム部門の事務所が入る歴史的建造物)
◆日本からの出品作品◆
前回54回は日本からコンペティション作品のない、物寂しい回であったが、今年は山田洋次監督の「隠し剣 鬼の爪」が出品された。前々回の「たそがれ清兵衛」に続き、2度目の幕末期のサムライもの。残念ながら受賞には至らなかったものの、ベルリンの観客・各国の批評家の温かい反応に山田監督及び関係者も満足げであった。パノラマ部門の「理由」は宮部みゆき原作の長編小説を丹念に映画化した、大林宣彦監督の意欲作。日本社会のみならずどこの都会でも共通するであろう匿名性や孤独感を丹念に描き、好評を博した。フォーラム部門では風間志織監督の「せかいのおわり」、羽田澄子監督「山中常盤」、中川陽介監督「真昼ノ星空」というそれぞれ独特の味わいを持つ3作品が上映され、それぞれが熱心な観客から多くの質問を受けていた。その3作に加えて同じくフォーラムでの旧作・内田吐夢監督「恋や恋なすな恋」の新鮮・奇抜な演出には驚嘆の声が上がった。
コンペティション、パノラマ、フォーラム、キンダー全部門に日本映画が選出された上に、山本寛斎氏のショーや松竹のベルリナーレ・カメラ賞受賞に伴う特別上映などで日本の存在感が増し、日本のマスコミの取り上げ方も昨年に較べて格段に多かった。
◆タレント・キャンパス◆
映画監督、俳優、脚本家、プロデューサー、映画音楽家志望者のための映画製作者育成のためのプロジェクト、ベルリン・タレントキャンパス。今年はDESIGN
FOR THE FUTURE をテーマに、舞台装置や装飾など、映画製作の中でも視覚的部分に焦点を当てた形であった。日本からは講師として映画及び舞台で精力的な活動を続ける衣装デザイナー・ワダエミ氏、俳優でかつこのほど中編DVD「トーリ」で監督デビューも果たした浅野忠信氏が招かれ、大勢の受講生を前に講義を行なった。
3回目の今回は世界90カ国から538人を招聘。昨年度はオーガニゼーションの不手際や、取りたい講座を受講できないなどの苦情が聞こえてきていたが、今年の参加者は軒並み満足している様子だった。参加者たちはワークショップに出席することはもちろんのこと、自作のVHS/DVDや企画を持ち込み、熱心にコネクションづくりに励む姿も多くみられた。今回で3回目になったが、今年の短編の金熊賞はタレントキャンパス体験者だという。若い才能を伸ばすというこの試みは着実に進んでいる。
◆ベルリナーレ・カメラ◆
今年で創業110周年を向かえた株式会社・松竹に対し、特別功労賞にあたるベルリナーレ・カメラ賞がベルリン映画祭より贈呈された。同賞は映画界に多大な功績を残した個人・団体に授与されるものであるが、1986年の創設以来、映画会社の受賞は初。(日本から過去には市川崑監督、熊井啓監督が受賞している。)贈呈式典には松竹を代表して大谷信義副会長が出席、今後の決意のほどを語った。またこれを記念して同社の代表作のひとつ、「二十四の瞳」が上映された。
◆スペシャル・イヴェント◆
ファッションデザイナーでイヴェントプロデューサー・山本寛斎氏のプロデュースによるスペシャル・イヴェントが会期の終了の迫った18日、映画祭行事の一環としてソニーセンター内の屋外特設会場にて執り行われた。山本氏製作総指揮のドキュメンタリー「アボルダージュ 行くぞ!」の上映後、屋外イヴェントがスタート。大鼓奏者・大倉正之助氏による演奏、日本から呼び寄せた花火師の人々の手により見事に打ち上げられた20発の手筒花火、日本人女性たちによる舞踊という構成で、詰め掛けたベルリン市民たちの大きな喝采を浴びた。
(写真右:スペシャル・イヴェントに参加した山本寛斎氏)
★ワダエミさん (衣装デザイナー:タレント・キャンパスに講師として参加)
ベルリンは以前オペラの衣装を手掛けた際に何ヶ月か滞在したことのある、馴染み深い街です。今回ベルリン映画祭・タレントキャンパスの講師として参加し、受講生たちから受けた質問でたいへん興味深かったのは、投げかけられる質問のほとんどがピーター・グリーナウェイ監督との仕事についてであったこと。近年の大ヒット作「HERO」でも「LOVERS」でも、日本映画についてでもなくグリーナウェイ。主にヨーロッパからであろうと思われる参加者たちにとって、グリーナウェイの存在感は特別なものらしいと認識しました。
“この職業に就くにはどうすれば良いですか?”といった趣旨の質問を受けることは多いのですが、映画監督であれ衣装デザイナーであれ、その職業に就くためのマニュアルがあるわけではなく、その方法は各自がそれぞれ学び、見つけていくもの。タレントキャンパスはその足がかりのチャンスのひとつであるかもしれない。この熱気溢れるワークショップから何かを掴んで欲しいと思います。
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