第3回目のカレイドスコープは、サタジット・レイ監督についてご紹介します。 かしこは長年の友人でもあるレイ監督について、「呼吸を整えペースを計って一歩一歩より高い創造の道を登っていくサタジット・レイさんこそ、本物の映画作家だと私は思います」と書き残しております。 二人の交流は長い年月に及び、かしこの遺したものの中には、レイ監督夫妻からの手紙が多くあります。お二人からのお手紙は、いずれも誠実な人柄を表す内容に満ちております。 また、岩波ホール総支配人の高野悦子氏と始めた、陽の目を見ない世界の名作を上映するための運動“エキプ・ド・シネマ”は、レイ監督の「大地のうた」三部作の未公開だった「大樹のうた」を上映することから始められたのです。その後も「大地のうた」三部作の一挙上映、「チャルラータ」「詩聖タゴール」「遠い雷鳴」をはじめ、遺作となった「見知らぬ人」まで、短編の「ピクー」などを含めると、レイ監督の15作品を岩波ホールで上映しております。(次ページのフィルモグラフィーをご参照ください)
長年に渡って築かれた信頼関係を物語るかのように、 かしこ宛てに送られたレイ監督夫妻からの手紙が、 今もなお数多く保管されています。 サタジット・レイ監督からの手紙。 ネーム入りの便箋で書かれています。
ビジョヤ・レイ監督夫人からの手紙。 インド的なデザインのかわいらしいレターセットで送ってくださいました。
1965年インド映画祭出席のおり、カルカッタのスタジオを訪問。 左よりかしこ、レイ監督、ビジョヤ・レイ監督夫人、 俳優のショウミットロ・チャタルジー氏(「遠い雷鳴」等に主演)、ビジョヤさんの従妹、 撮影監督のシュブロト・ミットロ氏(「大地のうた」等、多くのレイ監督作品を担当)
1966年、レイ監督が来日した際に鎌倉へ。右は、鎌倉の川喜多邸にて。
1972年テヘラン映画祭にて。 左より川喜多長政、アルベルト・ラットゥアーダ監督、かしこ、レイ監督
1975年のインド映画祭にて。
次へ>>