Kaleidoscope vol.8
 
淀川氏からの弔辞

和子が1993年6月7日に、かしこが7月27日に相次いで亡くなりましたが、
告別式では淀川氏が心に深く残る弔辞を二人に贈ってくださいました。
その一部分を書き出してみました。
なお、日本テレビから出版されました書籍『弔辞』で全文をお読みいただくことができます。



川喜多和子様
(前文略)
あなたは、亡くなられたのは五十三歳でございましたが、
和子さん、あなたは百歳以上の業績をのこされております。
アンゲロプロスのあの『旅芸人の記録』を拝見しましたとき、
私はとてもほめました。
そのとき、和子さんは笑って、小さな声で、
この映画の流し歌を私に歌ってくれました。
映画への愛が、実感に迫りました。
(中略)
これは、これはもう戦死です。
戦死という言葉はきらいです。戦争はきらいです。けれども、
映画の美しさをこれだけ、これだけ守って、とうとう・・・・・・。
守って、守って、守って、守って亡くなったあなたに、
私は、映画の、ほんとうの文化の豊かさのなかの戦死を感じます。
この、あなたの映画への愛、これを忘れることはできません。
あなたの映画愛を、決して私は忘れません。
和子さん、ありがとう。ほんとうにありがとう。
よく、がんばりましたね。
私は世界一、あなたが好きです。
よく尽くしてくださいました、ほんとうにありがとう!
今はどうか、どうか安らかに眠ってください。
ありがとうございました。

(中央区築地 築地本願寺伝道会館にて 六月二十四日)


川喜多かしこ様

(前文略)
かしこさんは病院で、
和子さんの跡を追うかのようにお亡くなりになりましたね。
今、天国でお二人は手を握られているにちがいありません。
しかし、私には、
映画のタカラが目のさきから消えた、
たまらない、さびしさです。
(中略)
東和分室の試写室では、いつも、かしこ夫人とお逢いします。
いつも、いつも欠かさず、
できるかぎり試写はごらんになりました。
そのたびに、お逢いしました。
するとニコニコと・・・・・・あなたと私は映画の姉弟(きょうだい)、
そういってニコニコと私の手を握ってくださいました。
私は八十四歳、ひとつ違いの・・・・・・弟とおっしゃっていました。
そのかしこさんに、もう逢えません。
(中略)
かしこさんの御生涯は映画一筋、
まさに映画界のファースト・レディです!
私は、かしこさんを、
永遠のこころの誇りとして胸にしまっておきます。
かしこさん、ほんとうに御立派でした。
ありがとうございました。
(中略)
何度も何度も、涙をにじませて、ここに、お礼を申し上げます。
どうか、天国で和子さんと、私たちを、
私たちの映画界を見守ってください。

(港区南青山 青山葬儀場にて 八月十日)


淀川氏寄贈資料

淀川氏が亡くなられた後、映画関係資料をご遺族から本財団にご寄贈いただきました。
ご寄贈いただいた資料は、分類し、鎌倉にあります収蔵庫に保存しております。

鎌倉事務所・収蔵庫内の淀川氏遺贈資料を保存した棚


淀川氏著書の一部



また、淀川氏には本財団の評議員として第一期の1982年から亡くなられるまで
務めていただきました。



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