パルム・ドール
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4 months, 3weeks and 2 days by Cristian Mungiu
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グランプリ
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「殯(もがり)の森」 河瀬直美監督
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最優秀監督賞 |
Julian Schnabel
(The Diving Bell and the Butterfly の
ディレクションに対して) |
最優秀女優賞 |
Jeon Do-yeon
(Secret Sunshine 中での演技に対して)
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最優秀男優賞 |
Konstantin Lavrorenko
(The Banishment 中での演技に対して) |
最優秀脚本賞 |
Fatih Akin (The Edge of Heavens) |
審査員賞 |
Persepolis by Marjane Satrapi
Silent Light by Carlos Reygradas |
60周年記念賞 |
Paranoid Park by Gus Van Sant |
カメラ・ドール
(新人監督賞) |
Meduzot(Jellyfish) by Etgar Keret&Shira Geffen |
*日本からの出品作品はこちらから
メイン上映会場・ルミエール入口のレッドカーペット(左)と
パレの外観(右) |
◆概観◆
セレクションのみならず、祝祭としてのバランスも絶妙、カンヌ映画祭の権威と底力が顕示された充実の60回であった。期間中を通して好天に恵まれ、お祭り気分を享受しようと会場付近を訪れる人々で連日ごった返した。60周年記念としての最も大きな企画は「映画館」をテーマにカンヌにゆかりのある35人の監督による33本の短編映画上映(各自3分)一挙上映。それに伴って豪華な監督陣が来場した様は壮観であった。日本からの唯一の出品は北野武監督の「素晴らしき休日」、33本のうち2番目に上映、温かいユーモア溢れる作品に場内は大きな笑いに包まれた。
今年の着目すべき試みとしてはパレ敷地内に新たな上映施設‘Salle de 60e’を設置し、公式上映作品(主にコンペ作品)をプレミア上映の翌日に再上映するシステムを取り入れたことが挙げられる。ここでの上映作品の観賞にあたってはチケット入手の必要もなく、アクレディテーションバッジを持っていて、並びさえすれば誰でも入場可で、たいへん好評であった。コンペ作品は最終日の日曜日に一気に再上映されるものの、その日まで滞在する参加者は少なく、あきらめざるを得ないことが常であった。またメイン上映会場・ルミエールでの上映も空席があれば上映開始直前に並んでいたバッジ所持者を入れるという処置が取られるようになったのもちょっとした驚き。数年前まではチケットを持っていても(おそらくはオーバーブッキング等で)入場できないこともそう珍しくはなかったことを思うに、カンヌ映画祭もコンピューターによる統制がかなり進み、かつフレキシブルになっていっている印象を受けた。
街の中に飾られた、映画祭の旗 |
コンペ部門のセレクションは非常に水準の高い回であったと言ってよい。いわゆる常連の監督たちの作品も新奇性に満ち、それ以外の監督の作品も粒揃いであった。ここ数年みられたダイレクトな政治色に満ちた作品は影を潜め、苦悩・病い・死・喪失感、など個人の内面に深く切り込んだテーマが多かったのも特徴である。パルム・ドール、グランプリともに低予算で作られた地味ながら作家の真摯に問題と向き合い、映像としての技を追求している作品が受賞した。この二つの賞のみならず、スティーブン・フレアーズ監督率いる審査員団は総じて芸術性に重きを置いた作品に高い評価を与えた。パルム・ドール受賞・ムンジウ監督の「(この受賞は)インディペンデント作家の今後の作品作りにおいて、大きな励みになる」とのコメントが印象的であった。
テレビをはじめ世界各国のさまざまなメディアで大々的に取り上げられる祝祭としての面も重要なカンヌ映画祭。ハリウッドスターや世界的ミュージシャンがレッドカーペットを闊歩。常に新鮮なニュースを提供。時代の要請にも過剰に娯楽性に流れ過ぎず、その一歩手前のところで上手に応えている。加えてクラシック映画への敬意、反面デジタル化する趨勢への対応・・・そのバランス感覚の良さもカンヌ映画祭が成功をおさめ続けている秘訣なのだろう。
野外に設置された大型モニター。
レッドカーペットにスターが登場した時の様子や、
記者会見の模様などが上映される。
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◆日本からの出品作品◆
コンペ、監督週間、批評家週間それぞれに1本ずつの出品。河瀬直美監督の『殯(もがり)の森』が栄えあるグランプリ(最高賞パルム・ドールに次ぐ賞)を受賞という快挙を成し遂げた。コンペ作品22本のうちのトリで、すでに帰途に着いてしまっていた参加者も多く、タイミングとしては恵まれていたといえなかったが、深遠なメッセージと詩情感を漂わせたビジュアルで、カンヌの観客と審査員に強く訴えかけた。同監督は1997年に『萌の朱雀』でカメラドール(新人監督賞)を受賞、2003年の『沙羅双樹』を経て、2度目のコンペ出品であった今回、満を持しての受賞ともいえる。「監督週間」には松本人志監督のデビュー作、『大日本人』が華々しく初上映を果たした。すでに日本ではたいへん知名度のある人の初監督作品であり、かつ本作の内容がカンヌでの正式なお披露目まで完全に秘密にされてきたこともあり、日本のメディアのこの作品への注目度の高さは特筆すべきものがあった。松本監督の非凡な才能を垣間見られたデビュー作。また上映される長編は7本のみという非常に狭き門である批評家週間部門には、今回は『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』が日本から出品を果たした。絶妙なオチと見事な伏線の張り方に、カンヌの観客たちをも大いに引き付けた。秀作揃いの日本映画であったが、プレゼン力という意味で課題が残ったように思われる。カンヌのような大舞台では出品が決まったら、それらをどう効果的な上映に持ってゆけるか、とのプランニングが不可欠である。せっかく超難関をくぐり抜けての公式出品なのだから、人々の注意を十分に引くことなく終わってしまうのはもったいない。しかるべきパブリシストを雇ったり、映画祭を熟知した人々のアドヴァイスを求めたりして最大限に生かせる場にするべく対策が肝要である。
ジャパンブースで打ち合わせをする
河瀬直美監督(左から2人目) |
◆日本映画国際展開@カンヌ◆
今年のカンヌ映画祭における日本映画発信基地はパレ(メイン会場)地下の「ジャパンブース」。International Village内の海に面した「ジャパン・パビリオン」がなくなったのは残念であるが、「JAPAN ブース」の面積は拡張。ジェトロ(日本貿易振興機構)とユニジャパン(日本映像国際振興協会)によって設けられ、日本映画関係者の集いの場として、日本映画関係の取材の場として、伝言の受け渡しの場としても利用されていた。8社ほどが「JAPAN ブース」内に拠点を構えたが、独自にブースを確保する会社も。マーケット会場RIVIERAは内部が区画整理(?)され、なかなかに分かりづらかった。海外との共同制作への道を開くべく、ユニジャパン主導で「J-ピッチ」プロジェクト。またVIPO主催の「ジャパン国際コンテンツフェスティバル」パーティもマジェスティックホテルにて開催。映画のみならず音楽、アニメーション、ゲームなど‘コンテンツ’を一堂に集めた9月〜10月にかけて催されるフェスティバルを知らしめるのが狙い。経済産業大臣も参加する気合の入れようであった。パーティを開催するタイミングはなかなか難しいが、映画祭2日目は、やはりまだ早いのではないかという気がした。
◆世界映画基金◆
マーティン・スコセッシ監督が世界映画基金(World Cinema Foundation, WCF)の設立をカンヌ映画祭にて発表した。同団体は趣旨に賛同した各国の監督たちを委員に迎え、世界中の忘れられているフィルムの保存と修復を目的とする。今年のカンヌ映画祭では、この基金で最初に復活させた3本の映画を上映。スコセッシ監督は、長年映画に対し持ち続けてきた愛情と、将来性のある映画のフィルムの劣化や紛失の懸念から、同基金の設立を決めたという。フィルムの保存・復元にカンヌ映画祭も並々ならぬ関心を示しており、スコセッシ側との思惑が一致、恰好の発表の場となった。
賛同した監督はウォン・カーウァイ(香港)、スティーブン・フリアーズ(イギリス)、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ(メキシコ)、ウォルター・サレス(ブラジル)、トルコ系ドイツ人のファティ・アキン、マリのスレイマン・シセ等。WCF委員に就任し、それぞれの地元で生まれた価値ある作品を発掘するという。同基金は主に、発展途上国の映画を対象に活動を行っていく。 スコセッシ監督は、この活動が現地の市場や、映画館、映画祭、そしてインターネットなどを通して地元の作品の配給を推進していくことに繋がるのでは、と言う。WCFはジョルジオ・アルマーニ、カルティエ、カタール航空などのスポンサーを受けて、運営される予定。
今回のカンヌ映画祭に出席された日本人の方々の中から、
映画祭について振り返っていただきました。
吉田大八監督
(批評家週間部門出品作品「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」)
『腑抜けカンヌに行く』はこちらから
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