公益財団法人川喜多記念映画文化財団
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コラム
◇「ノアの箱舟」制作秘話 2010年5月28日掲載 <<コラム一覧へ戻る
「鎌倉市川喜多映画記念館」で、7月13日から18日まで毎日1時から、手恷。虫氏の最後の作品「ノアの箱舟」が上映されます。旧約聖書の有名な話をアニメ化した作品ですが、日本テレビとイタリアのRAIテレビが共同制作しました。今から25年も前の作品ですから、テレビ番組として海外との初めての共同制作作品だったと思います。私はこの記念すべき作品に企画プロデューサーとして参加しました。
当時私は、伯父・伯母にあたる川喜多夫妻から、映像を通じての国際交流の大切さを叩き込まれていましたので、自分の作品を何とか海外のテレビ局に売り込もうと考えていました。しかし、言葉の問題や生活様式の違いが障害となって、なかなか実現しませんでした。他の番組で、一度、アメリカの小さなテレビ局で放送してもらったことがありますが、プリントに英語のスーパーを入れる費用が捻出出来ず、半年で中止になってしまいました。その上、「この作品は食べるシーンばっかりで、面白くない」と言われてしまいました。日本では登場人物の人間関係を説明するためによく食事シーンを使いますが、アメリカ人にはまだるっこしいと感じられてしまうようです。思ってもみなかった反応でした。
ヨーロッパのテレビ局ならば、余り娯楽作品がないから引き受けてくれるかもしれないと思い、ヨーロッパと日本が関係している事件を中心に幾つかの企画を立て、日本テレビの外国部の人たちと売り込みを開始しました。しかし、一向に引き受けてくれるテレビ局が見つかりません。当時ヨーロッパの局が制作している番組はニュースと教養番組だけで、娯楽番組は劇場で公開された映画ばかりでした。自前でドラマを作ってもペイしないというのがヨーロッパのテレビ局の人たちの考え方でした。もう海外のテレビで日本の番組を放送するのは無理なのだとあきらめかけたときに、思いがけず朗報が飛び込んできました。
イタリア、RAIテレビのプロデューサーで、手恷。虫先生の「アストロ・ボーイ」(鉄腕アトム)を買い付けていてくれたルチアーノ・スカファー氏から「朝の九時までに滞在しているホテルに来てくれないか」という電話が入ったのです。用件は何かと聞きますと、手恊謳カに依頼して「アニメ旧約聖書」を共同制作しないかということでした。何故キリスト教国でない日本で聖書を原作とした作品を作る気になったのですかと問いますと、聖書は「愛の物語」であり、手恊謳カは「愛の人」だから、手恊謳カに聖書を描いてほしいのだというのでした。私はもともと実写ドラマのプロデューサーでしたが、たまたまこのとき、電通から持ち込まれた「アニメ日本史」という番組も担当しており、テレビでこのような教養的な要素を含むアニメが子供たちにも受けていることを知っていましたので、これは面白いといっぺんに乗ってしまいました。私は余り熱心ではありませんでしたが、カトリック信者でもありましたので、聖書の物語を作れることは嬉しいことでした。
ところが、いざ制作の段階に入りますと、海外との共同制作の難しさを思い知らされてしまいました。私も信者として旧約聖書を読んでいましたし、勉強もしていました。手恊謳カもキリスト教には理解があり、神父との付き合いもあるということで、日本人としては、かなりくわしく旧約聖書のことを知っておられましたが、生まれたときからカトリック信者で、家庭、学校でキリスト教の教えを日常的に勉強しているイタリアの人たちとは比べものにならないほどその解釈が違いました。われわれは、旧約聖書の出来事は伝説に近いお話と理解していましたが、スカファー氏はユダヤの歴史書だというのです。ユダヤ人とローマ人とは骨格が違うのだから、その違いを絵で区別しろと言われても、手恊謳カも私もその違いをどう表現したらいいのかわからないのです。現在のようにメールの交換でお互いの考え方を付き合わせることも出来ず、もっぱらファクスで意思疎通をはからなければなりませんでしたので、キャラクターを決定するだけでも1年近くかかりました。スカファー氏が来日され、会議が始まっても、通訳を通しての打ち合わせでは時間ばかりかかり、イライラするばかりでした。通訳の人がトイレに立つと、何も話すことが出来ず、ただニヤニヤしているだけで、なんともバツの悪いことになってしまいました。スカファー氏がせめて、英語を分かってくれると何とかなるのですが、氏はイタリア語しか分からず、われわれは日本語しか分からないのです。言葉や、生活様式の違う海外の人との共同制作はなかなか難しいものと思いました。
そんな苦労をして、第一作目、サンプル作品として、この「ノアの箱舟」は制作されました。手恊謳カはこの企画に非常に興味を抱いて下さって、これを私の作品の集大成にしたいと、スカファー氏から次から次へとやってくる注文にも嫌な顔一つせず、対応し素晴らしい作品を完成させて下さいました。スカファー氏も、この作品を見ると、作画の質の良さ、ストーリーの巧みさ、子狐を狂言回しに使ったアイディアの奇抜さをとてもほめてくれました。手恊謳カは、日本人の子供になじまない聖書の話なので、子狐を使って聖書を説明しようと考えられたのです。動物を扱ったアニメーションでは、手恊謳カは世界一です。そして、このシリーズは正式にオーダーされました。
しかし、誠に残念なことに、手恊謳カはこの作品を一本作られただけで、天国に旅立たれてしまいました。このことはわれわれにとって計り知れない痛手でした。一時はもうこのシリーズは止めにしようかとも思いましたが、RAIとの契約もあり、ドイツのテレビ局に、もう売れているということで、止めるにやめられないことになってしまいました。この後、25本の聖書の物語を作ったわけですが、この間に救世主的に現れ、手恊謳カの考え方を継承し、極めて高品質な作品を作ってくれたのが、「白鯨物語」「クラウド」などの出崎統監督でした。そして、完成した作品はヨーロッパで非常に好評を博し、われわれ関係者の面目を保つことが出来たのでした。
こんな苦労をして、8年間もかかって完成したシリーズの第三話「ノアの箱舟」をぜひご覧いただきたいと思います。
岡田晋吉
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