公益財団法人川喜多記念映画文化財団

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◇映画の中の映画「風と共に去りぬ」  2012年3月26日掲載 <<コラム一覧へ戻る

  岡田晋吉


2012年
4月1日(日)〜7月1日(日)

 
映画の都 ハリウッド
〜華やかなるスターの世界〜
詳しくは、
鎌倉市川喜多
映画記念館ホームページ

 
本文でとりあげられた映画作品
 
4月10日(火)〜15日(日)
「風と共に去りぬ」
(1939年/233分)


監督:ヴィクター・フレミング
撮影:アーネスト・ホーラー他
原作:マーガレット・ミッチェル
出演:ヴィヴィアン・リー
クラーク・ゲイブル
 
執筆者紹介
岡田晋吉
 1935年、「鎌倉」生まれ、慶応義塾大学文学部仏文学科1957年卒業。
 石原裕次郎とは慶応義塾大学の同期である。
 1957年、日本テレビ放送網株式会社に入社。アメリカ製テレビ映画の吹き替え担当を経て、1964年から日本製テレビ映画のプロデューサーとなる。
 作品は、アメリカ製テレビ映画:「世にも不思議な物語」「幌馬車隊」など、テレビ映画としては、「青春とはなんだ!」「飛び出せ青春」「太陽にほえろ!」「傷だらけの天使」「俺たちの旅」「俺たちの朝」「あぶない刑事」「いろはの“い”」「俺たちは天使だ!」「忠臣蔵」「白虎隊」「警視K」など多数。
 竜雷太を初めとして、松田優作、中村雅俊、勝野洋などを育てた。
 現在は「公益財団法人川喜多記念映画文化財団」の業務執行理事。

 私が「風と共に去りぬ」を見たのは、1952年、まだ高校生の時だった。ダイナミックなストーリーにも圧倒されたが、それよりなにより、色のきれいさに驚いた。この時代、まだ20%位は白黒映画で、カラー映画は珍しかった。しかも、この映画の製作されたのが、戦前の1939年と聞き、2度びっくりした。この映画が1939年に日本で公開されていたら、みんなアメリカと戦争しても勝てるわけがないと思ったことだと思う。

 この映画のお蔭で、私は完全にアメリカ映画のファンになった。大学受験を控えた時期だったが、ろくに勉強もせず、学校をサボっては鎌倉から東京の映画館まで通い詰めた。幸い映画評論家で映画なら何でもいいという映画ファンだった父も「学校なんか行くより映画館へ行った方がはるかに役に立つ」というユニークな人だったので、おおっぴらに映画館に入り浸ることが出来た。確かに、この時代に見た映画は、私がテレビ局に入社しドラマを作るようになると、大変役にたった。

 私は「風と共に去りぬ」に恩義がある。というのも、私が勤めていた日本テレビの「水曜ロードショー」で、先輩が「1975年の目玉作品」として放送したこの映画が33%の高視聴率を獲得したため、後で、私が同番組の担当を受けつぎ、「スター・ウォーズ」を買い込んだ時に、前代未聞の金額を会社から引き出すことが出来た。この二作品の放送で、日本テレビの劇場映画の放送が活発化したのである。

 「風と共に去りぬ」の「After all,tomorrow is another day」という最後の名セリフも印象に残っている。私も苦しいとき、意に沿わない結果に遭遇し、沈み込んでしまったとき、いつもこのセリフを思い出し、元気を取り戻した。ヴィヴィアン・リー扮するスカーレット・オハラの人生をみると、これでもか、これでもかと不幸が襲って来る。財産もなくし、恋人にも捨てられ、自暴自棄になって自殺しても仕方がないと思われる状況のなかで、明日に希望を持って生きていこうとする強さに感動する。私は、こんな強く自立した女性をそれまでみたことが無かった。世間の目を気にせず、奔放に生きるスカーレットの生き方を、ある意味、うらやましいとさえ思った。まだ、高校生だった私には強烈な刺激だったのだ。

 私も年を取り、時代も変わった現在、あのスカーレットの生き方を自分がどう思うかが気になりはじめている。見る人の年齢、社会経験の度合いによって、違った魅力を見せてくれるのが映画だ。この映画を見て、あのスカーレットの生き方や、色彩感覚に一体どんな気持ちを抱くのか、もう一度ゆっくりと見直してみたいと思いはじめている。また新しい全く別の感銘を受けるかもしれない。その期待に心膨らませている。どうかみなさんもこの「映画の中の映画」と言われる「風と共に去りぬ」をもう一度ご覧になって、人生とはどういうものなのか?それをぜひ考えていただきたい。

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