公益財団法人川喜多記念映画文化財団
千代田区一番町18番地 川喜多メモリアルビル
映画祭レポート
◇カンヌ映画祭 2010/5/12-23
Festival de Cannes
受賞結果 |
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パルムドール |
Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives by Apichatpong WEERASETHAKUL |
グランプリ |
OF GODS AND MEN
by Xavier BEAUVOIS |
審査員賞 |
A screaming man by Mahamat-Saleh HAROUN |
最優秀監督賞 |
Mathieu AMALRIC (ON TOUR のディレクションに対して) |
最優秀女優賞 |
Juliette BINOCHE (CERTIFIED COPY中での演技に対して) |
最優秀男優賞 |
Javier BARDEM (BIUTIFUL by Alejandro GONZALEZ INARRITU) Elio GERMANO (OUR LIFE by Daniele LUCHETTI) |
最優秀脚本賞 | LEE Chang-dong for POETRY |
カメラ・ドール (新人監督賞) |
ANO BISIESTO by Michael ROWE |
ある視点賞 | HA-HA-HA by HONG Sangsoo) |
◆概観◆
パレ正面に掲げられた 今年のメインビジュアル ジュリエット・ビノシュ |
昨年は新型インフルエンザに翻弄された今年のカンヌの災難はアイスランドの火山灰であった。映画祭ディレクター、ティエリー・フレモー氏も語っていたように自然災害にはどうしたところで抗えず、気の毒としか言いようがない。渡航はできても帰国できないかもしれない、との不安等から(特にアメリカからの)参加予定者の直前になってのキャンセルが多かったという。パーティも映画キャンペーン絡みのイベントも昨年に引き続き縮小気味で、かつてのような華々しいムードは影を潜めつつある。しかも今回は映画祭開始直後の数日間が非常に肌寒く、参加者の出足も遅かったのかマーケット会場も少々寂しい、全体的に静かなスタートであったが、(例年通り水曜からの開始)週末からようやく人の数も天候もカンヌらしい空気になった。
メインのコンペティション部門は例によって巨匠たちの名前がひしめいていたものの、総じて地味な印象であった。アメリカ映画はダグ・リーマン監督の『フェア・ゲーム』一作で、昨年同様ハリウッドスターの来訪も比較的少なかった。圧倒的な印象を残した作品は終盤までなし。その中でも映画祭前半に上映されたマイク・リー監督の『Another Year』は、まさにプロの仕事、細部に至るまで円熟味溢れる出来で、映画祭期間に出る日刊紙の批評では最高点を維持していた。だがその完成度ゆえに新鮮味には乏しく、しかもリー監督は過去にパルムを受賞している。そんな中、終盤に登場したタイのアピチャポン・ウィーラセクタン監督の独創性に満ちた作品に一気に注目が集まり、結果最高賞は同監督の『ブンミおじさん』に落着した。これは審査員団の英断というべきだろう(受賞発表時にはプレスから拍手喝采が起こるという稀有な光景がみられた)。受賞作は死期が迫った初老のブンミおじさんのもとに亡くなった妻の霊や、かなり昔に行方不明になった息子が猿の姿をした聖霊になって現れる、輪廻思想やタイの歴史問題を暗喩した詩情豊かな作品。同監督は2004年にもカンヌ映画祭で『トロピカル・マラディ』で審査員賞を受賞し、実力はすでに評価を得ていた。映像作家としてアーティストとしても活躍する監督なだけに、独特の映像美には目を奪われる。今回の受賞はタイ映画としてのみならず、東南アジア映画としても初の最高賞受賞となり、タイ映画界への影響は計り知れない。またウィーラセクタン監督の作品は日本で一般公開されたことはないが、この受賞が弾みとなり、より多くの人に届くことを願ってやまない。分かり易いエンターテインメントとは対極にある不思議なリズムと味わいをもった作品であり、この作品を観ること自体がひとつのユニークな体験であると思われるから。それにしても審査員団の受賞結果が全体的にこれほど讃えられる回も珍しい。審査員長はティム・バートン監督。そういえばカンヌ映画祭に日本人が最後に審査員に選ばれたのはいつなのであろうか。久しく見かけない。栄誉ある審査員団の一員として、論議に加われる日本人映画関係者(監督・俳優含む)も存在すると思うのだが。
昼間から多くの人で賑わう 公式会場パレの周り |
「ある視点部門」に新作を発表したマノエル・デ・オリヴェイラ監督とゴダール監督も話題を呼んだ。オリヴェィラ監督は現在101歳、世界の現役最高齢記録を更新中である。新作もまた斬新な発想と独特のビジュアルセンスで唸らせられる。他にもウッディ・アレン、マイク・リー、リドリー・スコット、ベルトラン・タヴェルニエ等、ベテランの健闘が目立ち、「カンヌも高齢化している」と揶揄と愛情をこめて書かれていた記事もあったが、彼らの想像力や意欲は衰えを知らず、底力を感じさせられる。
ある視点、監督週間部門にも秀作が目立つ回であった。しかし外国映画の不振の日本映画興行の折、コンペ出品作であっても日本での配給が決まっている作品はごくひと握り。商業的な大成功とはいかないまでも、日本において良質な外国映画がきちんと上映され、しかるべき観客たちに評価される日は戻ってこないものだろうか。
OUTSIDE OF THE LAWの上映日の光景 会場周辺には警官の姿が |
<もの言うカンヌ>
カンヌ映画祭の政治問題にコミットする姿勢は今年も健在であった。まずイタリア政府を批判するドキュメンタリー作品の出品にイタリアの文化大臣が「カンヌをボイコット」を表明したが、カンヌ側は断固として上映を決行。アルジェリア独立戦争を題に取った『Outside of the Law』がコンペ部門に入ったことも物議を醸し出した。同作品の公式上映日には会場周辺を警官が警備、近年はずい分簡略化されていた会場への入場時の荷物チェックも念入りで驚くほど。しかしそこまでしてでも上映するところがカンヌならでは、との声も聞かれた。(実際、上映中にはフランスの右翼団体による抗議デモが繰り広げられていたそうだ)。そしてなんといっても今年注目すべきはイランのジャファール・パナヒ監督釈放へ向けた働きかけである。パナヒ監督はイラン改革派支持者でイラン政府に3月に不当逮捕され、獄中にあった。「ある視点部門」の審査委員に選出され、カンヌ側も同監督の釈放交渉を事前に試みたが、イラン側の態度は硬く拘束が解かれず参加は叶わなかった。パナヒ監督はデビュー作の『白い風船』が同映画祭でカメラ・ドール(新人監督賞)を受賞しており、カンヌとは縁が深い。カンヌ映画祭側は開幕式でもパナヒ監督の名前が書かれた席をステージ上に用意したり、審査員長ティム・バートン監督や同じイランのキアロスタミ監督、女優ジュリエット・ビノシュらが次々に解放を強く訴えたり、積極的な行動に出ていた。それらの動きが功を奏したのか、パナヒ監督は映画祭終了数日後に釈放された。逮捕に抗議し、一週間以上のハンガー・ストライキの最中だったという。ちなみにベルリン映画祭も拘束直後にディレクター名で同監督の釈放を訴えていた。
最高賞受賞のウィーラセクタン監督も騒乱の中にあるタイから、なんとかカンヌへ赴くことができた例で、「この賞がタイの混乱状態を少しでも沈静化させる一助になれば」と語った。
◆日本映画◆
OUTSIDE OF THE LAWの上映日の光景 会場周辺には警官の姿が |
今回、カンヌ映画祭関係で日本に報道されたニュースのうち、なんといっても多かったのは北野武監督に関してであった。同監督はコンペ部門への出品作、『アウトレイジ』を携えてカンヌを再訪。北野監督のカンヌ出品は長編としては『菊次郎の夏』以来11年ぶりである。北野監督はカンヌ映画祭に先立つ4月にフランス文化省より文化勲章コマンドゥールを受章、パリのポンピドゥー・センターでは北野監督作品のレトロスペクティブが、カルティエ現代美術館では大規模な個展が開催中と追い風ムードが漂っていた。が、やくざの世界の生き残りをかけた激しい権力闘争が過激なバイオレンスを伴って描かれる『アウトレイジ』に、現地でのプレスの反応は賛否両論。饒舌でテンポの良い今作は、ミニマリスティックで静寂さすら漂う、北野監督のかつての‘暴力映画’とは明らかにスタイルが違っており、従来の北野作品ファンの期待とは異なっていたのであろう。そしていわゆるカンヌ受けする作品ではない。北野監督は記者会見で「カンヌを‘目指して’いたらこの作品を作っていない」と言っていたが、これはかなり本音で、プレスの反応も予想通りだったのではないだろうか。公式上映では途中退席する観客はほとんど見られず、随所に笑いも起こりまずまずの反応、北野監督も満足そうな面持ちであった。受賞のプレッシャーを問われた時に「コンペに選んでもらっただけでありがたい」と謙虚なコメントをしていたが、それも心からの言葉なのではと思われる。たしかにプレスの論調としては否定的な記事が少なからず見受けられたものの、痛快な娯楽作品として非常に良い出来、単純に楽しい、と感想を語る記者も意外に多かったのも事実。日本・アメリカでより評価されるタイプの作品なのではないだろうか。
他には中田秀夫監督作品『チャット・ルーム』(英国映画)がある視点部門で上映され、ディレクターの代わった監督週間部門では平林勇監督の短編『Shikasha』が一本、早稲田大学の安藤紘平教授の研究室とマレーシアとの合作作品、『The Tiger Factory』が選出された。が、全体としてみると今年もまた日本映画としての存在感は希薄であった。
日本からの参加者はマーケット、プレス、ともに昨年からの抑え気味傾向が続いた。とはいえ世界各国からの映画製作・配給関係者が参加するマーケットである。完全撤退する会社は少なく、派遣する人数を削減する例が目立った。
◆余談◆
カンヌで勘弁してもらいたいもののひとつがコンペティション(またはアウト・オブ・コンペティション、スペシャル・スクリーニング)上映における「オーバーブッキング」である。正規のチケットを持っていても入れないことがままあるのだ。カンヌでの観賞券はお金を払って買うものではないから(*基本的にアクレディテーションを取った業界の人々だけが各自パソコンで当日分、翌日分を予約できる。当然、数に限りがあり、話題作は即なくなる。映画祭側が招待者に配る場合も。この場合も‘販売’は一切しない)もちろん「払い戻し」などあるわけがない。金銭的にどうという問題ではなく貴重な時間が無駄になることがなんとも悔しい。この時間にあのミーティング、別の作品の試写などいろいろなことができたのに、とどこに向けてよいのかわからない怒りがこみ上げてくる。。。
初めてカンヌに参加した年に「チケットを持っていても早めに行った方が良い」と助言され、意味が分からなかった。チケットがあれば席の位置はともかくとりあえず入れると何の疑問も持たなかった。がしかし。すぐに事情を理解した。適切な列に並んでいてもなぜか係員に制止され、先に行けない。もう開始時間になるのに、と焦りまくっていると「もう満員です」との宣告!‘バルコン席(二階席)’は特に要注意。朝はプレス試写も兼ねていたりするとプレス優先なので、さらに危険。他にも関係者・招待者をやけに多く入れてしまったり、で悲劇は起こる。「満員」の声を聞いて帰ればいいのだが、それでも並んでいる人々はなかなか立ち去らない。場合によっては「満員」と言っておきながら、開始後しばらく経って「あと10人どうぞ」と言われたり、別の会場で同時にスクリーニングします、という場合もなくはないのでつい待ってしまう。非効率この上ない。このあたりの事情がとにかくクリアではない・・。監督週間・批評家週間の列の長さも尋常ではない(*アクレディテーションを持っていれば入場資格あり)。とにかく、ひたすら待つ。時は金、なのに。しかも待っても確実に入れる保証はない。・・何かと忍耐を強いられるカンヌである。