公益財団法人川喜多記念映画文化財団
千代田区一番町18番地 川喜多メモリアルビル
資料探訪
『幸福な場所』
今回の資料探訪は、早稲田大学大学院文学研究科の博士後期課程で、映像文献について研究をしている宮本明子さんに執筆をお願いしました。宮本さんは、当財団所蔵の小津安二郎監督のオリジナル台本や直筆ノートを熱心に閲覧され、さまざまな角度から考察し、研究を重ねていらっしゃいます。当財団の資料を閲覧する立場、そして研究者として、感じたこと、発見したことなどについて、今回はその一例として『お茶漬の味』の直筆ノートについて書いていただきました。 |
小津監督『お茶漬の味』 の直筆ノート表紙 |
映画が制作される過程で使用された台本やノートには、しばしば監督やシナリオ執筆者らによる書き込みがみられます。
たとえば『東京物語』(1953)、『秋日和』(1960)などで知られる小津安二郎監督(1903-1963)の「監督撮影用台本」には、撮影の進行状況およびそれに付随する覚書が、万年筆や色鉛筆などで詳細に記されています。さらに『お茶漬の味』(1952)から『大根と人参』(1965、渋谷実監督により映画化)までのほぼすべての作品に存在する小津監督の「直筆ノート」は、映画の構想や台本の草稿が練られた過程を伝える貴重なものです。
「『お茶漬の味』直筆ノート」を例にとると、物語や登場人物の設定が箇条書きで記された頁があります。たとえばそのうちの一つ、「・妻 夫の鈍感が気に入らない。」という案は、実際に映画で、旧友とのおしゃべりのなかで夫・茂吉(佐分利信)のことを「鈍感さん」といってみせる妻・妙子(木暮実千代)の台詞に生かされています。このように箇条書きに記された案のうち映画に採用されたものには、傍線や複数の印が施され、おそらくシナリオの共同執筆者である野田高梧との話し合いがなされ、採否が決定された過程がうかがえます。
さらに興味深いのは、ノート後半の頁に『お茶漬の味』の完成稿に近いシナリオが既に記され、その最後に「四月一日 十時三十分脱稿」と書きつけてあることでしょう。監督の日記の記述をたどると明らかになるシナリオの脱稿日とその日が一致することから、このノート上のシナリオが、実質的な第一稿に相当するのではないかと考えられます。
『小津安二郎全集 下』(新書館、2003年)所収『お茶漬の味』シナリオが、川喜多記念映画文化財団所蔵の「撮影台本」を底本として井上和男氏により編纂されたものであるのに対し、「直筆ノート」上のシナリオはそれ以前の、製作者らによる合議や加筆修正を経ていない段階に相当します。したがってそこには、映画には現れない台詞やト書きが多分に含まれ、あるいは執筆者による逡巡の跡さえうかがえます。
小津監督『お茶漬の味』 物語や登場人物の設定が 箇条書きで記された頁 |
従来、映画の陰に隠れ、注目されることのなかったこうした資料は、ともすれば所在が定かでなく、閲覧も困難である場合が少なくありません。しかしながらそれらが今なお形をとどめ、閲覧に供されている幸福な場所、川喜多記念映画文化財団では、「映画」が今なお息づいていることを実感させられます。川喜多長政氏やかしこ夫人が、映画の紹介はもとより、その保存にも尽力されてきたことを思うたび、こうした資料の存在が顧みられ、光をあてられることを願わずにはいられません。
宮本明子
早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程