公益財団法人川喜多記念映画文化財団

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国際交流

映画祭レポート


◇ドーヴィル・アジア映画祭 2012/3/7-11
  Festival du film asiatique de deauville

 
 
映画祭メイン会場前のゲート
 

**受賞結果**   **概観**   **黒沢清監督特集**


**受賞結果**
最優秀作品賞  『Morning 』 Morteza Farshbaf監督 (イラン) 
審査員賞  『Bahat Bata』 Eduard Roy Jr. 監督 (フィリピン)
批評家賞  『ヒミズ』 園子温監督(日本)
最優秀アクション作品賞  『Wu Xia』 by Peter Ho-sun Chan(香港)
(『』内は英語題名) *日本からの出品作品はこちらから

 

**概観**

近隣の町から訪れた学生たち
 

 3月初めのドーヴィルは春というよりはまだまだ冬の終わりといった様相で、華やかな高級リゾート地の趣はあまり感じられない。が、その分上品で落ち着いた雰囲気に満ちており、文化イベントの開催には適した時期であるように思える。町の中心部(といっても非常にこじんまりしているが)の広場にアジア色を出した、なかなか洒落た装飾が施されていたり、日本も含むアジアの国々の国旗が通りに飾られていたり、と映画祭を盛り上げようとの工夫が町の随所に感じられた。

 アジア映画の祭典として5日間にわたって繰り広げられる同映画祭は14回目にしてすでにしっかりと市民の年間文化プログラムに組み込まれている様子である。難解そうな作品や、平日の日中の上映でもいろいろな年代の観客が会場に詰め掛け、興味深そうに見入っていた。今回も審査員たちのほとんどがフランス映画界で活躍する監督や女優、良い意味でとてもフランスらしい映画祭なのだと思う。

 ドーヴィル・アジア映画祭のメイン会場はほとんど海岸沿いといってよい場所に位置しているCIDシアター(Centre International de Deauville)。コンベンション等も頻繁に行われているそうで、開・閉会式、コンペティション作品の第一回目の上映、マスタークラス、その他さまざまな催しはすべてこの会場で行われた。通りを挟んだカジノには地下でつながっており、まさに町の文化・経済イベントの中心地なのであろう。もう一箇所の上映会場はカジノ脇の、少々年季の入った、それはそれで味のある映画館であった。同映画祭には授業の一環として提携しているという大学や高校の学生たちが相当数訪れており、熱心にそして楽しそうに鑑賞している姿が印象的であった。(昨年より多かったように思える)。

広場に施されたアジア風の飾り
 
街中のポスター
 
黒沢監督オマージュ式典の様子
 

 ノルマンディ地方の他の教育機関、文化機関との連携も密。車で5分ほどの風光明媚な近隣の町、オンフルールとは毎年「文化交換」としてドーヴィル・アジア映画祭で上映される作品の中の一本をその監督来臨のもとで上映し、ドーヴィル市においては毎年11月オンフルールにて開催される‘ロシア映画祭’での一本を上映する、という提携関係を結んでいるとのことである。今年のドーヴィルからの一本は『トウキョウソナタ』。上映前の挨拶に臨んだ黒沢清監督へオンフルールの市民から惜しみない拍手が送られた。

 同映画祭においては終映後に質疑応答が行われることがない。終映後、ロビーにいる監督や製作者・出演者に個人的に話しかけている観客を何度も目にした。時間や場所の都合があるのかと思われるが、やはり非常に残念である。製作側と観客が直に触れ合える機会は双方にとって得るものも多いに違いなく、ぜひ導入を検討してもらいたいものである。

 同映画祭はオマージュ(*今年は黒沢清監督。後述の別コーナー参照)としてひとりの監督を大々的に取り上げるが、それに次いで、‘Regard ’(A Glance) と銘打ってそれよりもやや小規模な特集を設けている。今回はタイのペンエーグ・ラッタナルアーン監督が取り上げられた。日本人俳優を積極的に起用する(『地球で最後のふたり』の主演は浅野忠信氏)など、日本とも関わりが深い監督で、黒沢監督との面識もあるとのことであった。今回は3作品が上映された。

 <日本作品>コンペティション部門に園子温監督の『ヒミズ』と松本人志監督の『さや侍』が出品され、前者が批評家賞を受賞した。『ヒミズ』は昨年3月11日に発生した東日本大震災を受け舞台を震災後の日本に変更し、被災地での撮影も敢行した意欲作。園監督は同映画祭に出席はしていなかったが、受賞式は震災からちょうど1年となる3月11日に執り行われたため、「くしくも3月11日、この日にいただくことになろうとは、何か不思議な縁を感じます。喜びよりなぜか痛みを感じます」とのコメントを発表した。なお、園監督は昨年も『冷たい熱帯魚』で同賞を受賞しており、2年連続の快挙であった。

 震災から一年になることに合わせて、同映画祭は3月9日金曜日を‘ジャパン・デー’と定め、日本関連のいくつかのイベントを設けた。パリから在フランス日本国大使・小松一郎氏が来訪、フランスから寄せられた応援に対しての謝辞を織り込んだスピーチをし、黒沢清監督を讃える式典も同日に行われた。また『さや侍』の松本人志監督も来訪し、ウィットに富んだプレゼンテーションで会場を盛り上げた。

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**黒沢清監督特集**

ドーヴィル・アジア映画祭でのマスタークラス
 
(左)シネマテーク・フランセーズ館長
セルジュ・トビアナ氏
(中央)黒沢監督
(右)シネマテーク・フランセーズ・
プログラムディレクター
ジャン・フランソワ=ロジェ氏
 

 ドーヴィル映画祭とパリのシネマテーク・フランセーズの共同企画として、黒沢監督をフランスに招聘し、前者では黒沢清監督へのオマージュ上映が、後者ではひと月以上にわたっての大レトロスペクティブが行われた。両機関とも長年にわたって黒沢監督を招き、業績を讃えることを熱望していたが、今回ついに念願叶っての開催となった。

 まず3月7日〜11日のドーヴィル・アジア映画祭においては黒沢監督作品6本が上映されるとともに、『カイエ・ド・シネマ』副編集長ジャン・フィリップ=テッセ氏をモデレーターとして、マスタークラスが行われた。黒沢監督の作品から抜粋したいくつかの映像をもとに、興味深い考察と熱を帯びた質疑応答がテッセ氏と監督の間で繰り広げられ、超満員の聴衆はひと言も聞きもらすまいとばかりに熱心に聞き入っていた。土曜日ということもあり、パリからやって来たという聴衆も少なくなかったそうである。

 同映画祭での記念式典、ドーヴィル市長による名誉市民認定式といった式典も続いた。ドーヴィル市の中心地の広場には歴代の名誉市民章が展示されており、黒沢監督の名前を刻んだメダルが今回加わった。半永久的にドーヴィル市に掲げられていることになることから、黒沢監督は「故郷がひとつ増えた思いです」とのスピーチをし、居合わせた市民から喝采を浴びた。

シネマテークでのオープニングセレモニー
 

 パリのシネマテーク・フランセーズでは3月14日〜4月19日までのひと月にわたって大レトロスペクティブが開催中である。テレビ番組やVシネ作品も含まれており、黒沢監督自身も言うようにこれほど同監督の作品が包括的に上映されるのは日本国内外含めて初めてのこと。14日のオープニングセレモニーには俳優マチュー・アマルリック氏をはじめ、大勢の映画関係者が駆け付けた。黒沢監督のお人柄のよく表れた、謙虚でかつしっかり機知に富んでいるスピーチに会場は大いに沸いた。セレモニーに続き上映された開幕作品は『叫』。会場(400人収容のアンリ・ラングロワホール)は早々に満員になり、入りきれず断られる人も多数出る盛況ぶりであった。アンリ・ラングロワホールは4つあるシネマテーク内の上映会場の中でも最大で、満員になることはなかなかないとのことである。映画の殿堂であるシネマテークでの栄誉に黒沢監督も感慨深い様子だった。翌15日夜にはシネマテークのプログラミングディレクターであり、黒沢監督作品に造詣の深いジャン・フランソワ=ロジェ氏と黒沢監督によるマスタークラスが行われた。残念ながら帰国便の時間の関係で参加は叶わなかったのだが、熱くスリリングな談義に会場の聴衆は固唾をのんで聞き入っていた、との報告を受けた。
 
 それにしてもフランスにおける黒沢監督の知名度と人気は予想以上であった。ドーヴィルでは映画祭会場では言うまでもなく、町でも老若男女問わず挨拶を受けたりサインを求められたりすることがたびたびであった。シネマテークでも同様。テレビ(France 2局のカルチャー番組‘Les Mots de minuit’)、雑誌(『L’Express』等)、新聞(日刊紙『リベラシオン』等)、ウェブマガジン、さまざまなメディアからの取材依頼が殺到し、関係者が厳選しなくては対応できないほどの数であったが、黒沢監督はそのひとつひとつに丁寧に応じていた。ドーヴィル・アジア映画祭のクロージング・セレモニーでも審査員であったフランスの映画人たちから敬意と親しみを込めた挨拶を多数受けていた。国際的にも評価の高い日本人監督は誇らしいものである。黒沢監督のますますのご活躍を期待してやまない。  
 
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