公益財団法人川喜多記念映画文化財団

千代田区一番町18番地 川喜多メモリアルビル

財団について

川喜多記念映画文化財団の歩み


ヴェネチア映画祭にて
(左より、川喜多長政、和子、かしこ)

 諸外国に比べ遅れていた、東京国立近代美術館の映画部門フィルムライブラリーを支援するために、1960年映画人はフィルムライブラリー助成協議会を設立しました。その中心となり働いたのが川喜多かしこでした。
 この組織が現在の川喜多記念映画文化財団の基礎となったのです。
 フィルムライブラリー助成協議会は、日仏交換映画祭に携わり、フランスの名作155作品の近代美術館での上映、フランスでの日本映画上映のために尽力しました。
 この後、東京国立近代美術館の映画部門がフィルムセンターとして充実したことにともない、仕事を終えたフィルムライブラリー助成協議会は1970年助成の文字を取り、日本映画を海外へ紹介するという新たな活動をはじめました。
 その主なるものとしては、1970年にロンドンのナショナル・フィルム・シアターにおける「黒澤明全作品上映」、パリのシネマテークの「日本映画の75年」や「溝口・小津とその世代」の開催などへの協力でした。
 1974年以降は国際交流基金などの協力も得て、テーマを決めた日本映画を20作品ほどパッケージにして、世界各地のシネマテークで巡回上映をしました。「現代日本映画20選」「映画でたどる日本の歴史」「映画でみる日本の家族」などで、これは19集まで続きました。
 そうした上映活動の中から、日本映画に関心を持つ多くの研究家の方々が増え、その方々のために便宜を図ることもフィルムライブラリーの重要な仕事となっていきました。
 また、新しい日本映画への関心が世界的にたかまり、各国の映画祭からの問い合わせや、ディレクターの来日なども増えてきました。
 そうしたなか、1981年にかしこと共に、映画を通し東西の架け橋となることを望んでいた夫の川喜多長政が亡くなりました。
 川喜多かしこはフィルムライブラリーという任意の団体から、組織の充実を考え、長政の思いも活かすべく遺産の一部を基金として、本財団法人「川喜多記念映画文化財団」として法人格をもつ組織を発足させました。法人格を得ることによって、活動の普遍性と恒久性をめざしたのです。
 残念なことに1993年7月には、支柱となる創設者川喜多かしこを亡くしました。私たちの財団は決して大きくはありませんが、毎年、海外からの映画を愛する多くのお客様にいらして頂き、新しい日本映画の紹介を頼まれます。また、映画という創作の場を世界に広げようとする若い方々、映画を学ぼうとしている方々に、頼りにされております。
 かしこの跡を継ぎ岡田正代が新しい理事長に就任し、その後も組織としての変動、変革はありましたが、その理念とするところは少しの変化もありません。
 理事、評議員の方々、永きにわたり賛助会員として財団の趣旨を理解し、支援して下さっている多くの団体・個人の方々からお力を頂き、かしこ初代理事長の夢を継承しております。